ソフトバンクホークスの近田怜王は2008年10月30日のプロ野球ドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから3位で指名された選手。
父は大阪府庁で3年半職員として働き、その後は不動産コンサルティング会社を経営している。
母親は鹿児島の銀行で働いた後に幼稚園教諭の資格を取るために東京の大学へ。
親戚が知り合いだったことが出会いのきっかけとなり、サラリーマンよりも収入がよく家も持っていたので結婚することを決意。
入団した際には長男にあたる兄は大阪府立大学の4年生でその後大学院に進学、次男は東京大学に受験するも失敗した慶応大学理工学部中退の浪人生だったのだとか。
3兄弟とも報徳学園出身。
末っ子でありながらも一番最初に自立した近田怜王選手。
母親が淋しいという中、お母さんも自立してねと声を掛けるほどしっかりとした18歳だった。
最速147km/h、常時140km/h前後のストレートとキレのあるスライダーや、カーブやチェンジアップなどの変化球を投げることができる。
キャンプの取材で来た鈴木啓示さんにに「高校生の中で一番いい。318勝(鈴木の通算勝利数は317勝)してくれ」と言われた将来性のある選手なのだそう。
関西No.1サウスポーと呼ばれたこともあり、高校進学の際には40校からスカウトの声がかかった。
高校時代は1年秋からエース、プロ入り後はオーストラリアのウインターリーグにも参加した。
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